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この1年で NFT という単語が頻繁に各種メディアや企業のリリースで耳聞するようになってきた。 先日、イギリスの現代美術雑誌「ArtReview」がアート業界で最も影響力のある100組のランキング「Power 100」の2021年版を発表したたのだが、1位がNFTの取扱をするための規格「ERC-721」であった。Cryptopunks(クリプトパンク)、Bored Ape(ボアードエイプ)、Beeple(ビープル)の作品が数百万ドル以上で売れている状況などを鑑みると1位は納得する。アート業界でもトレンドワード、ということを実感せざるを得ないニュースだった。 非常に個人的な話になるが、ここ最近、海外のキュレーターや海外のNFTプラットフォームの運営者から「NFTを発行してみてはどうか」との連絡が来たりするのだが、そもそもNFTは概念レベルでは理解しているものの、例えば、法的な課題だとか、芸術とNFTの周辺で起きていることについては無知過ぎるので、やや踏み出せずにいる。 どこかのタイミングでちゃんと整理しないとと思いつつ、なかなか、時間を取れてなかったので、休暇中のうちに整理しておきたいと思う。 アート×NFTの周辺で何が起きているのか? 2021年3月に、デジタルアーティスト Beeple(マイク・ヴィンケルマン)のNFTアート作品 < Beeple:Everydays: The First 5000 Days >が老舗のオークションハウス「クリスティーズ」のオンラインセールで約75億円で落札された。落札したのは、世界最大のNFTファンド「Metapurse」の創設者である Metakovan だ。この作品は、Beeple が 13年半かけて制作した5000枚の作品のコラージュで、特に真新しい美術技法などがあるわけではないが、13年半かけて制作したという文脈には強さがある。 最近では、ダミアン・ハーストやラファエル・ローゼンタールといった既に世界的に有名になっているアーティストもNFTに参入、世界3大メガギャラリーの一つ、Pace Gallery も積極的に参入するなど、いよいよアート業界も無視できない動きになっている。 Pace Gallery は、Pace 独自のNFTプラットフォーム「Pace Verso」の稼働を開始。最初の公開作品として、ルーカス・サマラスの「XYZ NFT」シリーズのNFT化が決定。各作品は1万ドルで販売予定で購入するとNFTと物理的な作品の両方を入手可能になる。 これまでのアート作品取引とのコミュニケーション上の違いは、コレクターとアーティストが直接コミュニケーションができるようになる点に思える。 コレクター側は自分が気に入ったアーティストがいれば、アーティストのファンとして暗号通貨を通じて熱烈に応援できる。そういったコレクターが増え、結果として、アーティストのファンコミュニティが生まれれば、アーティストにとっては、有名なアートギャラリーや制度的な枠組みとの深い関係性が無くても、作品で収益が得られる可能性がある。 アーティストにとっては、NFTで活動および生活資金を得て、制作に専念できる未来が見え隠れするのは非常に魅力的ではないだろうか。 約75億円で落札された < Beeple:Everydays: The First 5000 Days > 出典:クリスティーズWEBサイトより https://twitter.com/ChristiesInc/status/1370027970560106497 話題化されているようなNFTアーティストの作品を注意深く観察してみると、これまでの作品に対する評価基準、一般の目からの観点だと「写実的である」や「美しい」などとは異なる点が多いように思える。 では、一体、NFTアートが評価される(コレクターの目に留まり購入される)基準は何なのか? 美術手帖・特集「NFTアートってなんなんだ!?」でエキソニモ・千房氏が「作品の販売に関する設計や、アーティストやコレクターの関係の結び方が重視されている [1]」とある。この発言について、参考になる日本人アーティストの事例が、1万点のジェネラティブアートを販売し2時間で完売したことで話題になった高尾俊介氏である。 高尾氏の作品「Generativemasks」は、独自コミュニティが Discord 上に存在しており、作品所有者や興味があるファン達が数千人単位で存在し、クリエイティブコーディングの情報交換が行われている。 フィジカルのアート作品の流通においても、もちろんファンやコミュニティが存在しているのは言うまでもないが、クローズドな印象が非常に強い(その道に詳しいわけでは無いので、あくまで個人的な印象)。 一方で、NFTアートの場合は、コードや情報、アイデアをオープンに共有するというエンジニアを中心に脈々と受け継がれてきたオープンコミュニティのDNAが組み込まれているように思え、アートを中心とした新しいコミュニケーションの成り立ちが垣間見れる。作品の評価基準として、その作品は「コミュニティを生むことができるか」という点は非常に興味深い観点だ。 高尾氏による Generativemasks  出典:https://generativemasks.on.fleek.co/ リアルアートとの法的観点での違いについて ここから、NFTアートと区別して、有体物があるアートを「リアルアート」と呼称して話を進めたい。 さて、本題だが、Opensea や Foundation といった、NFTアートのプラットフォームでNFTを発行する前に、購入者やアーティストが取得する権利関係がどうなっているのか知りたくなった(知っておかないといけないという気持ちの方が強め)。 2021年11月の美術手帖の特集が、リアルアートとNFTアートの2つを比較しながら、分かりやすくまとめてくださっている。その情報を参考に自分なりに情報を肉付けして、ここにメモとして残しておきたい。 知っておきたい観点補足説明リアルアートとの違い著作権は誰が持つことになるのか契約で著作権の譲渡を明確に定めない限り作品を創作したアーティストが保有する。複製権もアーティストに帰属するため、購入者でもアーティストからの許可が無い限りはコピー作成、販売、配布、2次著作物の作成はNGである。基本的に同じ作品の再譲渡はできるのか作品の再譲渡は可能。基本的に同じ購入者に帰属する権利は何なのか現行の民法・著作権法上、NFTアートを購入しても所有権は観念できない。民法上、所有権の客体となる「物」(民法206条参照)は、「有体物」を指す(民法85条)。東京地裁平成27年8月5日判決は、ビットコインについて有体性を欠くため物権である所有権の客体とはならないと判示している。リアルアートの場合、有体物の所有は購入者が持つことになり、「法令の制限内において自由にその所有物の使用、収益及び処分」できる権利がある。原作品の所有者による展示はできるのかアーティストには展示権(美術物の著作物、未発行の写真の著作物の原作品を公に展示する権利がある)がある。アーティスト以外のものは、アーティストからの許諾無しに原作品を公には展示できない。絵画や彫刻の原作品の所有者は、購入した作品を公に展示することができる。アーティストの権限による展示はできるのか可能。APを付けたり、利用規約でアーティストも展示できることを明記することが望ましい。所有者が存在する場合、リアルアートの場合には、貸出を受けない限りは難しい。作品へのアクセスの独占はできるのか作品へのアクセスを購入者に限定することも可能だが、IPFS(InterPlanetary

https://youtu.be/MR61TduJCHQ JPEGMAFIA を聴きながら、目の前の積読を眺め、どれも面白そうで買ってよかったと思いつつも、そのボリュームの多さに精神と時の部屋が欲しい気持ちになっている。 全然関係無いが、30代に突入してからというものの、朝起きた時に顔にシーツの跡が付いてたら元に戻るのが遅いし、前はどこまでも長距離を歩いても平気だったのに、疲れてタクシーに乗ってしまうし、自分でも驚くほどに「老い」を実感する(早すぎる実感)単純に疲労が溜まっているだけかもしれないけども。体力づくりをしていかないとなと思いつついる―。 ここ数ヶ月、頭の片隅に残り続けている概念やら、仕組みやら、思想やらがわんさか溢れかえっていてかなり頭にノイズが残ったまま消化しきれずに過ごしていて疲弊している。 日々過ぎていく時間に幻滅しコンパスがないまま闇雲に砂漠や大海原を彷徨い続けている感覚がすごい。いっその事、全てを停止して学び直しの時間が必要なのかもしれない。 そんなことを思いながら、今日は久々に1人でスローな時間の使い方ができたので、新宿の紀伊國屋書店で、西洋史や現代思想の書棚を適当に眺めつつ、本当は、大きな物語の延長線上に自分の考えを位置づける必要は無いはずなのに、どうしても、文脈を踏んで、現時点での「議論」が、過去の誰の考えのどんな延長線上に位置づけられるのか整理したくなってしまうので、気合を入れて哲学や現代思想等を学ぶのが良いかもしれないけども、そもそも西洋文脈で良いんだっけかとなり、躓く。 学生時代に研究室にあった「脳科学と芸術」を購入し、帰宅して、また積読が増えたなと思いつつ、明日からは久々の休暇というやつで、那覇にいるので、少しは深く考えながら作業する時間が取れることに、束の間の喜びを感じたりしている。 はて、自身の中で考拠となるものが薄れつつある中、まずは誰の何を参照すれば良いのだろうか・・・

  世の中の感性は緩やかにモード崩壊に向かってる。渋谷のスペイン坂のウォールは,いつの間にか,小奇麗な真っ白な壁面と化し、都市の代謝が停止する。 これはまた自分の感性も同様で,生のアンダーグラウンドに触れられないことで自身のモード崩壊も加速しつつある。 自身の定義では「死」と同様だ。 半径数メートルの生活圏からインプットされた情報から吐き出されるもの全てが均質化に向かうことへのささやかな抵抗として,キーボードを介して懸命に何かを吐き出そうとする。 ― 午後18時半。 駅前。マスクを外した集団の声。メガホンと空気の亀裂。 渋谷にて,久々に音圧と対峙する。 繊細なアンビエントと「あの日」を思い起こされる映像が脳内で視覚野を活性化させる。筋肉が音圧で解され血流をいつもよりも強く感じつつ、 ― 午後23時。渋谷の交差点でふと空を見ながらこう思う。フィジカルが欠乏したこの世界において超高密度の音圧を浴びるという行為そのものが、「今」におけるカルチャーの豊穣を願う「祝祭」のようだ。

幽玄《名ノナ》奥深くて,はかり知れないこと.趣が深く味わいが尽きないこと. ここ最近,『幽玄』という日本文化の基層の理念に関心が湧いている。 『幽玄』は,本来は仏教や老荘思想など,中国思想の分野で用いられる漢語であり,平安時代後期から鎌倉時代前期の歌人である藤原俊成によって和歌を批評する用語として用いられて以来,歌論の中心となる用語になった. 能楽,禅,連歌,茶道,俳諧などの日本芸術文化に大きな影響を与えた理念で,神仙的で優婉である面影を彷彿させる作品などの評語として用いられることが多い. ところで,自然を観察することで,幽玄さを感じたことがある方はいると思うが,デジタルコンテンツに対して幽玄さを覚えた経験のある方はいるだろうか. 私の場合,ある作品を見て,一見,全体の色合いはそれのようだが,絶妙な光の粒や仄暗さ,空気の立体感などが大きく異なるなと思ったことがある。 視覚野を刺激する情報に明らかに欠損がある感じはするのだけども,それが何なのかは未だに分からない. 複雑な相互作用の元で生まれているものだとするとどう機械に再現させるのが良いのだろうか. 一歩間違えるとただのホラー的な表現で,美しさよりも恐怖感が勝る. これは計算量の限界ではない何かがあるはずである.

本日は、台風ですね。もはや、猛暑+台風とか、あれだ、もう、TDやるしかないっすよね。 ってことで、前回、ご紹介したTDの教本から「オーディオビジュアライゼーション」について振り返りをしたいと思います。 下の映像は、教本見ながらTDで作ってみたオーディオビジュアライゼーションです。 基本的には、「Visual Thinking with TouchDesigner – プロが選ぶリアルタイムレンダリング&プロトタイピングの極意」に沿って制作すれば、サクッとこんな感じのオーディオビジュアライザーションができるのかと思いきや、少しつまずいたところもあったので、補足的な内容を記載したいと思います。 まだ初心者なので用語の使い方が間違っている可能性も.. ※「Visual Thinking with TouchDesigner – プロが選ぶリアルタイムレンダリング&プロトタイピングの極意」で基本操作を一通り終えている前提での説明になるので、細かい点は、本を購入してご確認頂くのが良いと思います! https://vimeo.com/282070549 かなりざっくり言うと、CHOPでオーディオファイルを読み込み解析後、数値データをSOPに渡して、Y軸の変化量として波形描画。その後、feedbackやblurでいい感じにエフェクトかけてるって感じ。 step1~step6のブロックごとに軽く説明したいと思う。            step1. CHOPで音源を数値として扱えるようにする CHOPにも多様なオペレータが用意されている。 音源の読み込みは、「audiofilein」オペレータ、フーリエ変換は「audiospect」、チャネルのデータの時間変化を記録する「trail」オペレータ、入力された音源の最大値や最小値などを分析する「analyze」などなど.. 公式サイトを眺めていると、CHOPだけでも数十種類のオペレータがあるので機会があったら確認したいと思う(※TDはオペレータの種類と定義知っている=目標の表現のためにストラクチャーを考えられる、と言っても過言では無いので) ここでは、「audiofilein」で読み込んだ音源をそのまま、null に渡して、SOP に渡す。(※nullに渡すのが違和感を感じる方もいるかもですが、TDでは他のオペレータに値を渡すためには、nullに保持させて渡すのがお作法なのでここは何も考えずにそうすることにする) step2. CHOPの値に基づき波形を描画する 「grid SOP」「chop to SOP」「geo COMP(3Dモデルを入れるための箱のようなもの)」の順に繋いでいく。 ここで、「chop to」のパラメータパネル上の「CHOP」に、step1で作成した「null CHOP」を参照させることで、grid SOPのY座標Y(1)が、CHOPデータ(ポイントとポイントのアトリビュート(属性))に変換される。また、「Chanel Scope」には参照チャネルを設定、「Attribure Scope」にはY(1)を設定することで、Y値だけを参照するように設定する。 ※ 「geo COMP」を作成後、「chop to」と接続ができないかと。普通に本を読み進めるとここでつまずくはずです。 「geo COMP」をダブルクリックすると「Torus」が配置されているが、「Torus」を削除後に「in」「out」を配置し「out」オペレータの右端の紫ボタンを点灯させておく。上の階層に戻ると波形が描画されているはず。 あとは、「wireframe」のMATオペレータを配置し、geoのRenderでMaterialを「wireframe」に設定(ここは好きなMATで良いです) そして、最後に「geo COMP」→「render TOP」、「render TOP」に「 Camera COMP 」を割り当てることで、レンダリングされる。 step3~4. CHOPの値に基づき波形を描画する ここでは、step2でレンダリングされた波形に対して「残像」をつけてみよう。 残像を加えたい場合には、「Feedback」を活用します。Feedbackは前のフレームの映像を表示してくれるため、ループ系を構成することで残像効果をつけることができる。残像を残したいのが「comp1」になるので、「Feedback」の「Target TOP」のパラメータに「comp1」を参照させる。 これで一旦は完了だが、もう少し味付け。とうことで、キックに合わせて波形の色合いを変化させてみる。 「audioband CHOP」「analyze CHOP」「Trigger CHOP」と「analyze CHOP」「Trail

秋が深まり、目の前は黄金。ポケットの中のギターのリフがいつも以上に楽しげで、黄金色の落ち葉も愉快に踊る。黄金の粉が舞って、街路樹は唄う ──。 木々が色づくのは、生命活動の最適化が行われるからである。 この時期になると日差しが穏やかになり光合成で得られるエネルギーが、葉を維持するエネルギーよりも小さくなると、葉に栄養の供給をストップする。すると、緑色の色素、クロロフィルが分解される。この分解されたクロロフィルと葉の糖分が合わさって、アントシアニンが作られる。 このアントシアニンというやつが赤色の色素、赤い紅葉を生み出している。黄色の紅葉は、クロロフィルが壊されて、葉の表面のカロチノイドが現れると黄色の色素になるそうだ。 木々は、春までの間、自身の生命を維持するべく忙しく活動している様子がこの素晴らしい色合いをつくっているのだ。 上野公園 ──目の前には異様な青。 工業地帯のタンク群を彷彿とさせる。 正体は、「錦鯉品評会」 「変わり鯉」「別甲」など様々に名付けられた錦鯉達が青いビニールの中に入れられている。 きっといい餌を食べているんだろう。彼らはどっぷりと太っており、色も鮮やか。そんじょそこらの鯉とは格が違う、エリート達だ。 エリートの彼らの子孫達は、袋詰にされ、コンクリートの上に整然と並べられている。 彼らは生き物だけども、モノとしての扱われる。なんだか異様な光景で残酷に見えてくる 生命維持のために、色づく木々とは対象的に、錦鯉達は人間の手によって、より鮮やかな種のみが取捨選択され、エリート達が将来も生き続ける。 紅葉も錦鯉の鮮やかさも、同じ生命が生み出した美である。 どちらも、生命活動の結果、美しく色鮮やかなのだが、鮮やかさの背景は全く違う。 人間のエゴに操作された色合いはなんだか毒のようで、一気に世界が灰色になった。

お盆休みに、越後妻有アートトリエンナーレに行った。 越後妻有アートビエンナーレは、2000年から始まった芸術祭で、今年で6回目の開催となる。芸術祭の舞台である十日町市や津南町の里山の風景とともに芸術作品を楽しむことができ、ちょっとした夏旅を味わえる 芸術祭のコンセプトは、「人間は自然に内包される」。以前から考察を重ねている、Nature Sense(自然の動を捉え再構成する自然知覚力) とも重なるコンセプトであることから、自然知覚力をベースとした創造性を探る目的も頭に置きつつ、以下の5箇所を廻った。 越後妻有里山現代美術館 [キナーレ] 清津峡渓谷トンネル磯辺行久記念越後妻有清津倉庫美術館絵本と木の実の美術館農舞台 ここでは、越後妻有里山現代美術館と清津峡渓谷トンネルの作品の一部を紹介したい。 越後妻有里山現代美術館 [キナーレ] 初めに訪れたのは、越後妻有里山現代美術館[キナーレ]。 まず、入り口から目に入るのは、純粋幾何形体正方形の美術観の佇まいと中心の池。 コンクリート打ちっぱなしの人工物の回廊に囲まれた大きな池の景観そのものが大地の芸術祭のコンセプト「人間は自然に内包される」とも重なる。 この池そのものを活用して作品をつくったのが、LEANDRO ERLICH(レアンドロ・エルリッヒ)である。1Fからは池の底になにかがプリントされている、ぐらいにしか思わないのだが、美術館の2Fのある一点から池を観ると作品が顕になる。回廊に囲まれた池の水面に美術館の建物や空が鏡のように映し出される。 「空の池」の背景には、仏教の「色即是空(しきそくぜくう)」という考え方がある。 「この世に存在するすべてのもの、その本質は実体のない仮の姿であるということ」を表現している。 今日は、雲だが、池に反射するのは晴れの空。空が映し出された池はフェイクであり、実体の無い空(くう)である。仏教におけるリアリティの概念を参照している。レアンドロ・エルリッヒらしい、だまし絵の原理で構成された巨大なインスタレーション。 大地の芸術祭に行ったら鑑賞必須の作品の一つだ。 清津峡渓谷トンネル 次に向かったのは「清津峡渓谷トンネル」。 北京の建築事務所であるMAD Architectsによるトンネルのリニューアルを終えたばかり。全長約750mのトンネルを進みながら、自然の5大要素(木・土・金属・火・水)をコンセプトにした建築空間を楽しめる。 特筆したいのは、第二観景台の「The Drop」と、第四観景台の「Light Cave」だろう。 「The Drop」は「火」を象徴したインスタレーションである。火のように赤いライトが水滴のような形状の凸鏡面体を照らす。凸鏡面には渓谷の景観が映し出されており人工物と自然の交差が顕になる。 「Light Cave」は観ての通り「水」を象徴する。トンネルの最終地点の第四観景から展望できる渓谷の景観が天井の鏡面によって反射され、さらに床に張られた水面にも映し出される。水面のゆらぎが無い状態だと、MADの公式サイトあるような詩的で荘厳な空間を楽しむことができるだろう。 MADによる清津峡渓谷トンネルのリニューアルの狙いは、芸術と自然の一体により地域社会を活性させることだ。トンネルのリニューアルとともに、これまでの清津峡渓谷にはなかった文化の胎動を感じることができたのは、ある意味、私自身にとっても励みになった ──いつも思うのだが、芸術鑑賞は、まるでリトマス紙のようだ。今この瞬間の自身の考えや反応は、まるでどうこれまで生きてきたか、生きたいか、自分自身の根っこの部分との対話につながる。 *  in Nature  | ワイルドカード イン ネイチャー 大地の芸術祭を巡って感じたのは、創造性(クリエイティビティ)にとって、「自然」は「万能薬(*/ワイルドカード)」だ、ということ。 自然の中では、眼の前のすべてが「生(なま)」"なまもの"を扱うってとても難しいが故に、我々の創造性(クリエイティビティ)が試されると思う。 都市部でテクノロジーに囲まれて生活すると即効性、最適性、論理、均一化のベクトルを強く感じる。それは多分悪いことでは無いと思うけれども、自然環境に身を置くことで得られる感動を、都市部ではなかなか得られないという寂しさがある。 都市部と距離を置くだけで、自然とともに生まれる土着文化や感じたことのない"さざ波"と出会うことができる。 さて、このようなエネルギーを東京のような課題特化型都市に逆輸入するためには、あなたは、この東京で、どのような"なまもの"を発見し、そして、何ができるだろう?

枯れた夕日に電信柱が映える。 蝉の鳴き声に生を感じて、何処かに落としてしまった感情をすくい上げてみたら、頬に涙が流れた。 東京という街がまだあった頃、 僕らは只々、街のネオンに照らされて、正しさを必死になって求めていた気がする。 気づいたら全てが空中分解して、無機質なやさしさだけが身に染み付いていた。 気怠い。 2018/7/9 某所

はじめに 今年の2月はメディアアートを探求するものにとっては激アツな月と言えよう。何故かと言うと、Media Amnbition Tokyo、MeCA(ミーカ)、DIGITAL CHOC といったメディアアートの大規模展示が、同時期に東京都内の各所で開催されるためだ。 また、裏では「1990年代生まれが表現する現代のGrayscale」というテーマで早稲田合同制作展」も開催される。 早稲田の展示では、情報技術の発達とともに、徐々に透明化、グレースケール化しつつある、生や死、人工と自然などの狭間の表現を試みている。 ちなみに、作品制作はドミニク・チェンさんの研究室の学生さんとのこと─。 生と死のテーマは私も制作テーマとしてピックアップしたこともあるので、是非、観てみたい。私個人としては、スペクタクルとしての期待以上に、鑑賞を通じて、テクノロジーとともに変容する我々の社会、文化、自然に対して、あれこれと思考実験できることと、社会の潮流を再認識し我々の未来を思考する時間、きっかけとモチベーションが得られるのが嬉しい。 MeCA | Media Culture in Asia”A Transnational Platform 本日は、今年から始まった「MeCA | Media Culture in Asia”A Transnational Platform」を巡った。 MeCAは国際交流基金アジアセンターと、一般社団法人 TodaysArt JAPAN AAC TOKYO の両者によって開催されているイベントである。急速に発展を遂げているアジアのクリエイティブシーンのさらなる底上げと、アジアの次世代の成長促進がこのイベントの狙いといったところか─。 今回は東南アジアのメディアアートシーンを牽引している WSK(ワサック)、日仏の文化事業デジタル・ショックなどのメディアアートフェスティバルから計8作品が展示されている。 読後感はどの作品も濃厚であったが、ここでは、特に印象深かった3作品を紹介したい。 Tad Ermitaño -Spinning Jimmy v. 2.0 はじめに紹介する作品は、フィリピンのメディアアーティストのTad Ermitaño氏(1964-)による作品「Spinning Jimmy v.2.0」である。 彼は80年代後半にかけてメディアアート界に重量な影響を与えた作家であり、実験的なビデオアートを通して人間と機械を取り巻く構造関係を浮き彫りにする作品が多くみられる。 彼のプロジェクトでは、メディア技術を用いて時間軸と空間の制約を解放し、我々人間の聴覚や視覚を騙すことでaesthetic(美的な)な体験を生み出すところが特徴的である。 目の前には、ディスプレイが設置された自動走行車が置かれている。ディスプレイ内では、Jimmyという名の人物が何処と無く車庫のような雰囲気の空間をうろうろしている。Jimmyが車庫の中心まで歩くと、不意に振り返り、勢い良く壁めがけて走り出し、壁を思いっきり押す。すると、Jimmyが押した力が自動走行車に伝わったかのように、台車が押した方向へ少しだけ動き出す─。 たった一人の人間、Jimmyが、巨大な壁(ここでは制度的な力を想定している)に全エネルギーをかけて打つかる光景─、革命の起爆剤としての「メディア技術」へと思考をリンクさせられた、──2010 -2012年にかけて発生したアラブの春が記憶に新しい。 少数のクリエイティブ・クラスがメディア技術を使いこなしたことを期に、中東で長年続いてきた独裁政権がドミノ倒しになったのが事実。時間と空間の制約を超越し、人間を中心とした運動体に巨大な遠心力と波及力を与えうる存在としての「メディア技術」の駆動力、誰もが予想していなかった方向へ運動体を導く制御不能性、暴走性を考えさせられる。 坂本龍一+高谷史郎「WATERSTATE 1(水の様態1)」 次に紹介したいのは、坂本龍一氏と高谷史郎氏、YCAMによる音響彫刻作品の「water state 1(水の様態1)」である。お二方によるインスタレーション作品はICC(IS YOUR TIME)でも展示されている。 かねてから「水」を作品のモチーフとして扱うことに挑戦をしたいと考えていたようで、YCAM InterLab とのコラボレーションを期に制作された作品が「water state(水の様態1)」である。 大量の水滴を自在にシーケンス制御して落下させる装置を

Meca(ミーカ)に続き、2月の目玉展示の1つ、MediaAmbtion2018を観に行く。 MediaAmbitionは、今年で6回目となる。今年も参加アーティストは、豪華で、Rhizomatiks、チームラボ、WOWといった常に先進的な表現開発に挑むクリエイティブ集団、脇田先生や落合先生などアカデミックなバックグラウンドからも参加している。 個人的には、毎年、参加アーティストが固定されてしまっている点が気になるが。運営側は大変になるが公募型にした方が、メディアアーティストの挑戦と成長を促す展示になるのではないかと思う。 また、年々、アトラクション的要素が強めで本質が?といった作品が多くなってきていることから、メディアアートを研究、実践する人にとっては、少し物足りない印象を受けるかもしれない。ここでは、展示作品の中から特に表現が卓越していた1作品を紹介したいと思う。 Montagne, cent quatorze mille polygones(山、11万4千個の多角形)| Joanie Lemercier(ジョアニー・ルメルシェ) Joanie Lemercier は、フランス、ブリストルを拠点とするビジュアルアーティスト。プロジェクションマッピングの技術で世界的にも群を抜いているビジュアル・レーベル、AntiVJ のメンバーでもある。 最近は、高圧ガスで超微粒子の水を空中に噴霧することでスクリーンを作り出し、まるで空中に映像が投影されているかのような新しいメディア表現にも挑戦し話題になった。 https://www.youtube.com/watch?v=FSdNKmeYJT4 目の前に広がるのは山脈に囲まれた谷。時間とともに季節や日の当たり方が変わり、様々な表情を見せる。一見すると非常にリアルスティックな山脈と谷だが、実は我々が観ているのはアルゴリズムで描画された2次元のメッシュである─。 メッシュの表面の光の陰影の変化が、我々の脳に錯覚を起こし奥行きを感じさせる。 認知科学的観点で捉えると、線に反応する脳細胞と、奥行きを感じさせる脳細胞が存在しており、互に関連することで我々の知覚システムが成り立っていることが、作品を通してデバッグできる点が、非常に面白い。 今後のジョアニーの制作活動はトレースしていきたい。