越後妻有トリエンナーレ | 大地の芸術祭 | * In Nature
お盆休みに、越後妻有アートトリエンナーレに行った。
越後妻有アートビエンナーレは、2000年から始まった芸術祭で、今年で6回目の開催となる。芸術祭の舞台である十日町市や津南町の里山の風景とともに芸術作品を楽しむことができ、ちょっとした夏旅を味わえる
芸術祭のコンセプトは、「人間は自然に内包される」。以前から考察を重ねている、Nature Sense(自然の動を捉え再構成する自然知覚力) とも重なるコンセプトであることから、自然知覚力をベースとした創造性を探る目的も頭に置きつつ、以下の5箇所を廻った。
- 越後妻有里山現代美術館 [キナーレ]
- 清津峡渓谷トンネル
- 磯辺行久記念越後妻有清津倉庫美術館
- 絵本と木の実の美術館
- 農舞台
ここでは、越後妻有里山現代美術館と清津峡渓谷トンネルの作品の一部を紹介したい。
越後妻有里山現代美術館 [キナーレ]
初めに訪れたのは、越後妻有里山現代美術館[キナーレ]。
まず、入り口から目に入るのは、純粋幾何形体正方形の美術観の佇まいと中心の池。
コンクリート打ちっぱなしの人工物の回廊に囲まれた大きな池の景観そのものが大地の芸術祭のコンセプト「人間は自然に内包される」とも重なる。
この池そのものを活用して作品をつくったのが、LEANDRO ERLICH(レアンドロ・エルリッヒ)である。1Fからは池の底になにかがプリントされている、ぐらいにしか思わないのだが、美術館の2Fのある一点から池を観ると作品が顕になる。回廊に囲まれた池の水面に美術館の建物や空が鏡のように映し出される。
「空の池」の背景には、仏教の「色即是空(しきそくぜくう)」という考え方がある。
「この世に存在するすべてのもの、その本質は実体のない仮の姿であるということ」を表現している。
今日は、雲だが、池に反射するのは晴れの空。空が映し出された池はフェイクであり、実体の無い空(くう)である。仏教におけるリアリティの概念を参照している。レアンドロ・エルリッヒらしい、だまし絵の原理で構成された巨大なインスタレーション。
大地の芸術祭に行ったら鑑賞必須の作品の一つだ。
清津峡渓谷トンネル
次に向かったのは「清津峡渓谷トンネル」。
北京の建築事務所であるMAD Architectsによるトンネルのリニューアルを終えたばかり。全長約750mのトンネルを進みながら、自然の5大要素(木・土・金属・火・水)をコンセプトにした建築空間を楽しめる。
特筆したいのは、第二観景台の「The Drop」と、第四観景台の「Light Cave」だろう。
「The Drop」は「火」を象徴したインスタレーションである。火のように赤いライトが水滴のような形状の凸鏡面体を照らす。凸鏡面には渓谷の景観が映し出されており人工物と自然の交差が顕になる。
「Light Cave」は観ての通り「水」を象徴する。トンネルの最終地点の第四観景から展望できる渓谷の景観が天井の鏡面によって反射され、さらに床に張られた水面にも映し出される。水面のゆらぎが無い状態だと、MADの公式サイトあるような詩的で荘厳な空間を楽しむことができるだろう。
MADによる清津峡渓谷トンネルのリニューアルの狙いは、芸術と自然の一体により地域社会を活性させることだ。トンネルのリニューアルとともに、これまでの清津峡渓谷にはなかった文化の胎動を感じることができたのは、ある意味、私自身にとっても励みになった
──いつも思うのだが、芸術鑑賞は、まるでリトマス紙のようだ。今この瞬間の自身の考えや反応は、まるでどうこれまで生きてきたか、生きたいか、自分自身の根っこの部分との対話につながる。
* in Nature | ワイルドカード イン ネイチャー
大地の芸術祭を巡って感じたのは、創造性(クリエイティビティ)にとって、「自然」は「万能薬(*/ワイルドカード)」だ、ということ。
自然の中では、眼の前のすべてが「生(なま)」”なまもの”を扱うってとても難しいが故に、我々の創造性(クリエイティビティ)が試されると思う。
都市部でテクノロジーに囲まれて生活すると即効性、最適性、論理、均一化のベクトルを強く感じる。それは多分悪いことでは無いと思うけれども、自然環境に身を置くことで得られる感動を、都市部ではなかなか得られないという寂しさがある。
都市部と距離を置くだけで、自然とともに生まれる土着文化や感じたことのない”さざ波”と出会うことができる。
さて、このようなエネルギーを東京のような課題特化型都市に逆輸入するためには、あなたは、この東京で、どのような”なまもの”を発見し、そして、何ができるだろう?