ライターの欲望と街の受容性について
上京してから早くも4年が経とうとしているのだけれども、都内で時を重ねれば重ねるほど、課題意識が膨らんでいくのが、ライティング周辺で起きていること。ライターの欲望に対する街の受容性については、ここ数年で何も進展が無いように感じる。
むしろ宮下公園のリーガルウォールが実現しなかったことを初めとした”逆行”とも言える話題は尽きない。
一方で、千葉の市原湖畔美術館でのSIDECOREの展示や美術手帖でのグラフィティ特集号は、芸術の制度の延長上で捉え直されつつあるポジティブな兆候であるとも言える。
上の写真はFranceに展示に行ったときに訪れた L’Aérosol 。
誰もが建物全体にライティングできるスポットで、ストリートカルチャーをテーマとした美術館も併設されており、パリ市民のカルチャースポットの一つとなっている。渋谷にもこういう場所がほしい。
“落書き”か”芸術”かを中心とした議論をよく耳にする。その議論の延長線上として、ライティングという行為の街の受容性の評価や、ライティングと都市の共存を都市計画へと組み込むための諸手法の整理は、まだまだ発展途上だ。
慎重な議論と整理が今後も必要であろう