季節や生き物の鮮やかさとは裏腹に、世界はこんなにも灰色だ。
秋が深まり、目の前は黄金。ポケットの中のギターのリフがいつも以上に楽しげで、黄金色の落ち葉も愉快に踊る。黄金の粉が舞って、街路樹は唄う ──。
木々が色づくのは、生命活動の最適化が行われるからである。
この時期になると日差しが穏やかになり光合成で得られるエネルギーが、葉を維持するエネルギーよりも小さくなると、葉に栄養の供給をストップする。すると、緑色の色素、クロロフィルが分解される。この分解されたクロロフィルと葉の糖分が合わさって、アントシアニンが作られる。
このアントシアニンというやつが赤色の色素、赤い紅葉を生み出している。黄色の紅葉は、クロロフィルが壊されて、葉の表面のカロチノイドが現れると黄色の色素になるそうだ。
木々は、春までの間、自身の生命を維持するべく忙しく活動している様子がこの素晴らしい色合いをつくっているのだ。
上野公園 ──目の前には異様な青。
工業地帯のタンク群を彷彿とさせる。
正体は、「錦鯉品評会」
「変わり鯉」「別甲」など様々に名付けられた錦鯉達が青いビニールの中に入れられている。
きっといい餌を食べているんだろう。彼らはどっぷりと太っており、色も鮮やか。そんじょそこらの鯉とは格が違う、エリート達だ。
エリートの彼らの子孫達は、袋詰にされ、コンクリートの上に整然と並べられている。
彼らは生き物だけども、モノとしての扱われる。なんだか異様な光景で残酷に見えてくる
生命維持のために、色づく木々とは対象的に、錦鯉達は人間の手によって、より鮮やかな種のみが取捨選択され、エリート達が将来も生き続ける。
紅葉も錦鯉の鮮やかさも、同じ生命が生み出した美である。
どちらも、生命活動の結果、美しく色鮮やかなのだが、鮮やかさの背景は全く違う。
人間のエゴに操作された色合いはなんだか毒のようで、一気に世界が灰色になった。