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毎年、4月になるとミラノの風が恋しくなる。 今年は、4月17日~22日の期間で、ミラノ国際家具見本市(Salone del Mobile Milano)が開催された。 ミラノ市をあげての当イベントは、家具メーカによる新作の発表のみならず、市内中で無数のデザイン・アートイベントが催され、ミラノ・デザイン・ウィークと称される。 気づけばミラノ・サローネも、3回目なのだが、私にとって、東京でのループを抜け出して脳細胞に刺激を与える貴重な時間となっている。 家具以外にも、デザイン・アートの祭典としての見どころは数え切れないのだが、特に、日本企業のインスタレーション作品がアツい。作品の空間設計と体験としてのクオリティと解像度の高さには、毎年、心の高揚を覚える。 ここでは、Salone del Mobile Milano 2018で展示されたインスタレーション作品の中から、特に印象深かった2作品「LIMITLESS-CO-EXISTENCE」「The Flow of Time」を紹介したい。 https://www.youtube.com/watch?v=6yRz59jebrk https://www.youtube.com/watch?v=wAiICAtUlNU ──普段は、テクノロジーを嗜好する私だが、デザイン領域での思考と表現の幅の限界を感じている。 スペキュラティブ・デザインへの着目の一方で、”未来”という言葉は”死語”、そんな声も聞こえる。今、デザイン・アート領域で真新しい体験を生み出すには、何を思索の入り口とすれば良いのか──。 この問いへの応答として、日本人ならではの「NATURE SENSE」(ここでは、自然の「動」を捉え変換し再構成する自然知覚力と造形力と定義する)を考えてみたい。 LIMITLESS-CO-EXISTENCE | LEXUS DESIGN EVENT 2018 毎年、ミラノデザインウィークで楽しみなイベントの1つにLEXUS DESIGN AWARD / EVENTがある。LEXUSのデザイン思想をテーマに、AWARD/EVENTを開催しており、今年で11回となる。今年のテーマは、「CO-(共に)」。全く異なる個の融合と調和により、既成概念を越えた新しい価値を生み出そうとする、LEXUSのデザイン思想の1つである。 (個人的な話だが、当アワードで、私が手がけた泡の照明がショートリストまで残った。残念ながら受賞は逃したのだが..) 今回のインスタレーションでは、「CO-(共に)」により、生み出される「無限の可能性を秘めた(LimitLess)な未来」をインスタレーションで表現している。 インスタレーションを担当したのは、日本の建築家・スペースデザイナーの市川創太氏。新たな建築の表記法を探求するdNA (doubleNegatives Architecture)の中心人物として,自動生成による建築プロジェクト等を実践する。 市川氏の過去の作品で、個人的に記憶に新しいのが、三上晴子さんとの「gravicells[グラヴィセルズ]-重力と抵抗」 ──普段、我々が意識していない重力という普遍的な存在に身をもって対面することができる作品は、メディア・アートを志すものに新鮮な視点を与え、テクノロジー・アートおける表現の限界を拡張した。 「CO-(共に)」を抽象的に表現した「LIMITLESS-CO-EXISTENCE」では、天井から無数のストリングが1万2千本吊り下げられており、1点の光源が満遍なくストリングを照らしている。満遍なく照らされたストリングは、完全なる共存と調和により創り上げられた世界を表現している。 Grand Seiko - THE FLOW OF EXISTENCE 2作品目として、紹介したいのが「グランドセイコー」の「THE FLOW OF EXISTENCE」である。 グランドセイコーはミラノサローネは今年が初参加。 インスタレーションは「TAKT PROJECT」が担当し、グランドセイコーの独自技術である「スプリングドライブ(※)」の思想を伝えるインスタレーションを展開した。インスタレーション空間の核となっているが、TAKT PROJECTの出世作品、アクリル製の透明なオブジェ「COMPOSITION+」である。 空間に12本配置されたオブジェには、ムーブメントが封入されており、オブジェの背後には、時が移いゆく映像が投影されている。透明なオブジェを覗き込むと、ムーブメントの部品と映像が融合した様が見える。とオブジェ内の複数の部品からは微小な光が、時を刻むスプリングドライブそのもののエネルギーの存在を暗示する。 オブジェのコンポジションと映像の美しさが見どころである。見事に物質と映像の境界がグレースケール化しており、インスタレーション空間全体が、正確に時を刻み続ける「スプリングドライブ」の世界観を伝えるメディアとして成り立っていた点が印象深い。 ※スプリングドライブ・・・・機械式時計に用いられるぜんまいを動力源として、クオーツ式時計の制御システムである水晶振動子からの正確な信号により制度を制御するセイコー独自の駆動機構(公式サイトより引用) https://vimeo.com/267081124 NATURE SENSE」:Harmonious Relationship Between Human and Nature ──普段は、テクノロジーを志向する私でさえ、デザイン領域での思考と表現の幅の限界を感じている。スペキュラティブ・デザインへの着目の一方で、”未来”という言葉は”死語”、そんな声も聞こえる。今、デザイン・アート領域で真新しい体験を生み出すには、何を思索の入り口とすれば良いのか──。 この問いへの応答として、日本人ならではの「NATURE

お盆休みに、越後妻有アートトリエンナーレに行った。 越後妻有アートビエンナーレは、2000年から始まった芸術祭で、今年で6回目の開催となる。芸術祭の舞台である十日町市や津南町の里山の風景とともに芸術作品を楽しむことができ、ちょっとした夏旅を味わえる 芸術祭のコンセプトは、「人間は自然に内包される」。以前から考察を重ねている、Nature Sense(自然の動を捉え再構成する自然知覚力) とも重なるコンセプトであることから、自然知覚力をベースとした創造性を探る目的も頭に置きつつ、以下の5箇所を廻った。 越後妻有里山現代美術館 [キナーレ] 清津峡渓谷トンネル磯辺行久記念越後妻有清津倉庫美術館絵本と木の実の美術館農舞台 ここでは、越後妻有里山現代美術館と清津峡渓谷トンネルの作品の一部を紹介したい。 越後妻有里山現代美術館 [キナーレ] 初めに訪れたのは、越後妻有里山現代美術館[キナーレ]。 まず、入り口から目に入るのは、純粋幾何形体正方形の美術観の佇まいと中心の池。 コンクリート打ちっぱなしの人工物の回廊に囲まれた大きな池の景観そのものが大地の芸術祭のコンセプト「人間は自然に内包される」とも重なる。 この池そのものを活用して作品をつくったのが、LEANDRO ERLICH(レアンドロ・エルリッヒ)である。1Fからは池の底になにかがプリントされている、ぐらいにしか思わないのだが、美術館の2Fのある一点から池を観ると作品が顕になる。回廊に囲まれた池の水面に美術館の建物や空が鏡のように映し出される。 「空の池」の背景には、仏教の「色即是空(しきそくぜくう)」という考え方がある。 「この世に存在するすべてのもの、その本質は実体のない仮の姿であるということ」を表現している。 今日は、雲だが、池に反射するのは晴れの空。空が映し出された池はフェイクであり、実体の無い空(くう)である。仏教におけるリアリティの概念を参照している。レアンドロ・エルリッヒらしい、だまし絵の原理で構成された巨大なインスタレーション。 大地の芸術祭に行ったら鑑賞必須の作品の一つだ。 清津峡渓谷トンネル 次に向かったのは「清津峡渓谷トンネル」。 北京の建築事務所であるMAD Architectsによるトンネルのリニューアルを終えたばかり。全長約750mのトンネルを進みながら、自然の5大要素(木・土・金属・火・水)をコンセプトにした建築空間を楽しめる。 特筆したいのは、第二観景台の「The Drop」と、第四観景台の「Light Cave」だろう。 「The Drop」は「火」を象徴したインスタレーションである。火のように赤いライトが水滴のような形状の凸鏡面体を照らす。凸鏡面には渓谷の景観が映し出されており人工物と自然の交差が顕になる。 「Light Cave」は観ての通り「水」を象徴する。トンネルの最終地点の第四観景から展望できる渓谷の景観が天井の鏡面によって反射され、さらに床に張られた水面にも映し出される。水面のゆらぎが無い状態だと、MADの公式サイトあるような詩的で荘厳な空間を楽しむことができるだろう。 MADによる清津峡渓谷トンネルのリニューアルの狙いは、芸術と自然の一体により地域社会を活性させることだ。トンネルのリニューアルとともに、これまでの清津峡渓谷にはなかった文化の胎動を感じることができたのは、ある意味、私自身にとっても励みになった ──いつも思うのだが、芸術鑑賞は、まるでリトマス紙のようだ。今この瞬間の自身の考えや反応は、まるでどうこれまで生きてきたか、生きたいか、自分自身の根っこの部分との対話につながる。 *  in Nature  | ワイルドカード イン ネイチャー 大地の芸術祭を巡って感じたのは、創造性(クリエイティビティ)にとって、「自然」は「万能薬(*/ワイルドカード)」だ、ということ。 自然の中では、眼の前のすべてが「生(なま)」"なまもの"を扱うってとても難しいが故に、我々の創造性(クリエイティビティ)が試されると思う。 都市部でテクノロジーに囲まれて生活すると即効性、最適性、論理、均一化のベクトルを強く感じる。それは多分悪いことでは無いと思うけれども、自然環境に身を置くことで得られる感動を、都市部ではなかなか得られないという寂しさがある。 都市部と距離を置くだけで、自然とともに生まれる土着文化や感じたことのない"さざ波"と出会うことができる。 さて、このようなエネルギーを東京のような課題特化型都市に逆輸入するためには、あなたは、この東京で、どのような"なまもの"を発見し、そして、何ができるだろう?